徳川家(松平家)の聖地 大樹寺

永禄三年(1560年)桶狭間の戦いで今川軍が敗走し、松平元康(家康)は、この寺に逃げ帰り、先祖の墓の前で自害しようとしたが、13代住職の登誉上人が 「厭離禨土欣求淨土」 (おんりえどごんぐじょうど)と説き諭し自害を翻意させたという逸話が残っています。以来、家康はこの言葉を旗印にし、戦場に赴いていきます。松平氏四代 松平親忠が、1475年に松平家の菩提寺として建立。元和元年(1615年)徳川家康が先祖八代墓を再建。この八代墓は岡崎市の指定文化財になっています。歴代将軍の位牌も安置されています。位牌の高さは、其々、将軍の臨終時の身長と同じとされています。ちなみに、家康159.0センチ 秀忠157.0センチ ・・・(15代将軍 徳川慶喜の位牌はありません。神式で葬られる事を遺言したためであったからのようです )

 大樹寺と岡崎城を結ぶ3kmの直線を「眺望ライン」とよんでいます。三代将軍家光が、家康公の一七回忌を気に「祖父の生誕の地をの望めるように」、松平家の菩提樹である大樹寺の本堂から山門、総門を通して、その真中に岡崎城をの望むように伽藍を整備したと言い伝えられています。

所在地:岡崎市鴨田町広元5−1  

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