平景清伝説が伝承される常福寺へ

平景清伝説の残る萬年山 常福寺。知多四国 第六番札所 曹洞宗 常福寺にお参りに行ってきました。

壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門の侍大将平景清(たいらのかげきよ)が、伊勢より落ちのび「芹沢の井」附近(寺より西へ三丁)に赤羽八太夫(景清歿するまで一切の世話をし、伴の姓を賜る。これ伴家の先祖と言われる)の援助により草庵を結び、日頃信仰する観音菩薩を念じ、娘の安否並びに平家一門の冥福を祈念したところ、ある夜、霊夢によって観音経を口授した。これが景清口授夢想観音経(九十六字観音経)であって版木が現存しているそうです。 景清は、非常に驚喜し、その尊容を、感得し、報恩感謝と一門の菩提のために千手観音木造を十五日費やして彫作しました。これが常福寺の本尊千手観世音菩薩です。彫刻に半月要した事より、この地を半月と呼ぶようになったそうです。地名の由来として、尾張志では、べつの云い伝えを紹介しています。芦沢の井に湧出る霊水は眼病に霊験あらたかで、遠近より沢山の人々が、平癒祈願に参拝されているそうです。景清は建保二年八月一五日に、ここ常福寺で歿し、寺の東の八幡山に祀られています。位牌と千手観世音菩薩像は、本堂に安置されているそうです。

尾張志巻六十、 「景清宅」に、半月の地名の由来を、波間に映るかけ月(半月)を、かけ(景)清しと賞で、里人が以後この景清の心情をくみとり、この地を半月(はんげつ)と呼んだと伝えています。

常福寺本堂 庭が綺麗に管理され心落ち着きます。 本堂で、今では珍しくなった仏前結婚式が行われていました。白無垢姿に凛とした佇まいを感じました。お幸せに。八幡宮の鳥居の左側に、景清公の墓所の石碑がありました。寺の東側の小高い丘に、生目八幡宮 施主の幟に伴の姓がみえます。現在でも伴家が景清公を守っているようです。 

平景清は「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛な武将であり、実在したとはいえ生涯に謎の多い人物であるため、各地に様々な伝説が残されていますが、いわゆる平家の落人として扱われる事は少なく、このためか各種の創作において主人公としてよく取り上げられているようです。古典芸能において、「景清」または「何某誰々実ハ景清」が登場する作品を、一括して景清物(かげきよ もの)と呼ぶばれ、能、謡 浄瑠璃、歌舞伎の主人公、主役として登場します。壇ノ浦の戦いで、源氏方の美尾屋(みおのや)十郎との死闘を繰り広げ、逃げようとした十郎の兜の錣(しころ)を素手で引きちぎるという「悪七兵衛」が最も「悪七兵衛」らしい荒技をやってのけました。平家物語のこの部分は「景清の錣引き」として有名な話となってます。景清伝説が語られているのは、南は鹿児島、東に茨城、新潟、愛知、京都、滋賀、島根、山口、宮崎、・・・・・・。数多く残っています。名古屋市にも、御祭神が平景清公の景清社(愛知県名古屋市熱田区)があり、 平家没落後は熱田の縁者を頼り、ここ熱田で隠棲したと言われています。眼病に御利益があるといった共通点が見受けられ、しかも、生目八幡宮として祀られている社が複数存在しています。云い伝えによれば、源頼朝を生涯、仇(かたき)としてつけ狙い、三十数回暗殺計画を企て、最期は、生け捕りにされ即座に処刑されても不思議でないのに!!鎌倉方の武家達にその扱いは、優遇されたと伝えられています。鎌倉期には、既に、武士の生きざまに理想とされる武士道、「主君の仇打ちは美徳である」という概念が出来あがっていたと思はれます。それに、判官びいきもあいまって語り伝えらたと考えられます。それにしても、東海市の宝珠寺に伝わる在原業平伝説、大府市の常福寺の平景清伝説など、知多半島調べてみると沢山の興味深い伝承、伝説が語り伝えられています。熱田神宮に隣接した地域のため神代の時代、神話の時代の伝承も含めるとその数は無数に多くあります。

住所:愛知県大府市半月町3-151   

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