尾張高野山宗総本山 岩屋寺 岩屋山奥ノ院

岩屋寺本堂

所在地: 愛知県知多郡南知多町山海字間草109番地  

知多四国第四十三番札所 大慈山 岩屋寺と 番外 岩屋山 奥之院へお参りに行ってきました

大慈山 岩屋寺は、尾張高野山宗総本山で、本尊は千手観音菩薩です。当山は、もともと天台宗で、大慈山千眼光寺、又は、巌窟寺と言われていたようです。昭和二十六年、尾張高野山宗総本山 岩屋寺として独立し、末寺二十、教会七十九を擁しているそうです。岩屋寺は、山や丘陵に囲まれた盆地に位置し、ここが知多半島の南端の地かと即座には信じ難い程の深山幽邃な静寂境にあります。山間の地形を巧みに利用し、風格ある堂宇が境内に並んでいます。 「岩屋寺略縁起」によれば、元正天皇、行基に命じて、岩屋に七堂十二坊の大伽藍をつくらせ、ここに仏像を安置し、勅願所として千眼寺の別号を賜ったと。「張州府志」に『在岩屋寺村、号大慈山、天台宗・・・・霊亀元年(715年)創建・・・安千手観音像、聖武帝勅願以行基為開山』と。文化十年(1813年)、尾張徳川家の祈願所となり御黒印を授かったそうです .。

岩屋寺本堂(平成四年に 再建)で、経蔵(一切経蔵)は、 寛政十三年(1801年)竣工 三間四面の瓦葺き二層  総欅造りの堂々たる佇まいです。この経蔵には、宝徳三年(1451年)、大野城主 佐治右衛門尉盛光が寄進した五千四百六十三巻の一切経が保管され国の重要文化財に指定されています。

文化年間(1804~1818年)に、中興の傑僧 豪潮律師による五百羅漢像が開眼され、山の斜面にびっしりと山肌の一部のように解け込んでいる姿は壮観です。この経蔵の横の階段は大師ヶ岳八十八ヶ所霊場という霊場につづき、山頂には弘法大師三十七歳のときの大きな立像があるそうです。
今日は、猛暑日で、大変湿度が高いようです。山頂への参拝は、一瞬躊躇しましたが、思い切って登りはじめました。  

一番札所の弘法大師像をお参りし、さて、これより先、八十八ヶ所登り切れるのか大いに不安なるも山頂の親大師さまお参りしなくては!!湿気と、蚊に悩まされながらも山頂の親大師様お参り出来ました。
「不思議とは、誰が口から 岩屋でら 千手の誓い 利益あらたか!!合掌

第四十三番札所 岩屋寺の谷沿いにさらに奥に進むと、番外 奥之院の参道にいたります

所在地: 愛知県知多郡南知多町山海城洲62-2    

奥之院参道。参道の両サイドは苔生す墓石が立ち並び、湿度は高く、木々に覆われ昼間でも薄暗く、凡人が立ち入り難い森厳な雰囲気が漂っています。

この三重の塔(RC造り)の裏奥之院本殿等、これより奥には、凡人には立ち入り難い重さを感じ、今回は、ここでお参りを済ませ、引き返しました。山の中腹に巌窟があり、この巌窟のなかで、弘法大師が大同三年(808年)、百日の護摩修法をし、自身の像を納め、ここに岩屋山奥之院を開創したといわれています。身代大師(みがわりたいし)の総本山として、広く知れ渡り、知多四国霊場唯一の行場を持つ深山として有名な霊場です。弘法大師が、護摩修法のとき使用した仏具(金銅法具類二十八点)が、国の指定文化財として、岩屋寺に保管されています。   

南知多町誌 本文編参照

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